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《枕草子》日文原版

(一段)


   春は曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく山際(やまぎわ)、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。


   夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、螢(ほたる)飛びちがひたる。雨など降るも、をかし。


   秋は夕暮(ゆうぐれ)。夕日のさして山端(やまぎわ)いと近くなりたるに、烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。まして雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。日入(ひい)りはてて、風の音(おと)、蟲の音(ね)など。(いとあはれなり。)


   冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜などのいと白きも、またさらでも いと寒きに、火など急ぎおこして、炭(すみ)持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりぬるは わろし。




  (二段)


   頃(ころ)は、正月、三月、四・五月、七・八月、九・十一月、十二月。すべてをりにつけつつ。一年ながら をかし。




  (三段)


   正月一日は、まいて、空の景色うらうらと珍しく、かすみこめたるに、世にありとある人は、姿容心ことにつくろひ、君をもわが身をも祝ひなどしたるさま、殊(こと)にをかし。


   七日は、雪間の若菜青やかに摘み出でつつ、例はさしもさる物目近からぬ所に もてさわぎ、白馬見んとて、里人は車きよげにしたてて見にゆく。中の御門の閾ひき入るるほど、頭ども一處にまろびあひて、指櫛も落ち、用意せねば折れなどして、笑ふもまたをかし。左衞門の陣などに、殿上人あまた立ちなどして、舎人の弓ども取りて、馬ども驚かして笑ふを、僅に見入れたれば、立蔀などの見ゆるに、主殿司、女官などの、行きちがひたるこそをかしけれ。
   いかばかりなる人、九重をかく立ち馴すらんなど思ひやらるる中にも、見るはいと狹きほどにて、舎人が顏のきぬもあらはれ、白きもののゆきつかぬ所は、誠に黒き庭に雪のむら消えたる心地して、いと見ぐるし。馬のあがり騒ぎたるも恐しく覺ゆれば、引き入られてよくも見やられず。


   八日、人々よろこびして走りさわぎ、車の音も、つねよりはことに聞えて をかし。


   十五日は、もちかゆの節供まゐる。かゆの木ひき隱して、家の御達、女房などのうかがふを、うたれじと用意して、常に後を心づかひしたる景色もをかしきに、いかにしてげるにかあらん、打ちあてたるは、いみじう興ありとうち笑ひたるも、いと榮々し。ねたしと思ひたる、ことわりなり。
   去年より新しう通ふ壻の君などの、内裏へ參るほどを、心もとなく、所につけて我はと思ひたる女房ののぞき、奧のかたにたたずまふを、前にゐたる人は心得て笑ふを、「あなかまあなかま」と招きかくれど、君見知らず顏にて、おほどかにて居給へり。
   「ここなる物とり侍らん」などいひ寄り、はしりうちて逃ぐれば、あるかぎり笑ふ。男君もにくからず愛敬づきて笑みたる、ことに驚かず、顏少し赤みてゐたるもをかし。また互に打ちて、男などをさへぞうつめる。いかなる心にかあらん、泣きはらだち、打ちつる人を呪ひ、まがまがしくいふもをかし。内裏わたりなど、やんごとなきも、今日はみな亂れて、かしこまりなし。


   除目のほどなど、内裏わたりはいとをかし。雪降りこほりなどしたるに、申文もてありく。四位五位、わかやかに心地よげなるは、いとたのもしげなり。老いて頭白きなどが、人にとかく案内いひ、女房の局によりて、おのが身のかしこきよしなど、心をやりて説き聞するを、若き人々は眞似をし笑へど、いかでか知らん。「よきに奏し給へ、啓し給へ」などいひても、得たるはよし、得ずなりぬるこそ、いとあはれなれ。


   三月三日、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の今咲きはじむる。柳など、いとをかしきこそ更なれ。それもまだ、まゆにこもりたるこそをかしけれ。廣ごりたるはにくし。花も散りたる後はうたてぞ見ゆる。
   おもしろく咲きたる櫻を長く折りて、大なる花瓶にさしたるこそをかしけれ。櫻の直衣に、出袿して、客人にもあれ、御兄の公達にもあれ、そこ近くゐて物などうちいひたる、いとをかし。そのわたりに、鳥蟲のひたひつきいと美しうて飛びありく、いとをかし。


   祭のころはいみじうをかし。木々のこの葉、まだ繁うはなうて、わかやかに青みたるに、霞も霧もへだてぬ空の景色の、何となくそぞろにをかしきに、少し曇りたる夕つかた、夜など、忍びたる杜鵑の、遠うそら耳かと覺ゆるまで、たどたどしきを聞きつけたらん、何ごこちかはせん。


   祭近くなりて、青朽葉、二藍などのものどもおしまきつつ、細櫃の蓋に入れ、紙などにけしきばかり包みて、行きちがひもて歩くこそをかしけれ。末濃、村濃、卷染など、常よりもをかしう見ゆ。童女の頭ばかり洗ひつくろひて、形は皆痿えほころび、打ち亂れかかりたるもあるが、屐子、沓などの緒すげさせ、裏をさせなどもて騒ぎ、いつしかその日にならんと、急ぎ走り歩くもをかし。
   怪しう踊りて歩く者どもの、さうぞきたてつれば、いみじく、ちやうざといふ法師などのやうに、ねりさまよふこそをかしけれ。ほどほどにつけて、親をばの女、姉などの供して、つくろひ歩くもをかし。




  (四段)


   ことごとなるもの  法師の詞(ことば)。男女の詞。下司(げす)の詞に、かならず文字あまりしたり。

(五段)
  
   思はん子を法師になしたらんこそは、いと心苦しけれ。さるは、いとたのもしきわざを、唯(ただ)木のはしなどのやうに思ひたらんこそ、いといとほしけれ。精進物のあしきを食ひ、寐ぬるをも、若きは物もゆかしからん。女などのある所をも、などか忌みたるやうに、さしのぞかずもあらん。それをも安からずいふ。まして驗者などのかたは、いと苦しげなり。
   御獄(みたけ)、熊野(くまの)、かからぬ山なく歩くほどに、恐しき目も見、驗(しるし)ああり、聞こえ出できぬれば、ここかしこに呼ばれ、時めくにつけて、安(やす)げもなし。いたく煩(わずら)ふ人にかかりて、物怪(もののけ)調(ちょう)ずるも、いと苦しければ、困(こう)じてうち眠れば、「ねぶりなどのみして」と咎(とが)むるも、いと所狹く、いかに思はんと。これは昔のことなり。今樣(いまよう)はやすげなり。
   (六段)
  
   大進生昌(だいじんなりまさ)が家に、宮の出でさせ給ふに、東の門は四足になして、それより御輿(みこし)は入らせ給ふ。北の門より女房の車ども、陣屋の居ねば入りなんやと思ひて、頭(かしら)つきわろき人も、いたくもつくろはず、寄せて下るべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛(びりょうげ)の車などは、門ちひさければ、さはりてえ入らねば、例の筵道(えんどう)敷(し)きておるるに、いとにくく、腹だたしけれど、いかがはせん。殿上人、地下なるも、陣に立ちそひ見るもねたし。
  
   御前(おまえ)に參りて、ありつるやう啓すれば、「ここにも人は見るまじくやは。などかはさしもうち解けつる」と笑はせ給ふ。
   「されど、それは皆(みな)目(め)慣れて侍れば、よくしたてて侍らんにしこそ驚く人も侍らめ。さても、かばかりなる家に、車入らぬ門やはあらん。見えば笑はん」などいふ程にしも、「これまゐらせん」とて、御硯(おんすずり)などさしいる。
   「いで、いとわろくこそおはしけれ。などてかその門狹く造りて、住み給ひけるぞ」といへば、笑ひて、「家のほど身のほどに合せて侍るなり」と答ふ。「されど、門の限を、高く造りける人も聞ゆるは」といへば、「あなおそろし」と驚きて、「それは于定國がことにこそ侍るなれ。古き進士などに侍らずば、承り知るべくも侍らざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだに辨(わきま)へられ侍る」と言ふ。「その御道もかしこからざめり。筵道敷きたれば、皆おち入りて騒ぎつるは」と言へば、「雨の降り侍れば、實にさも侍らん。よしよし、また仰せかくべき事もぞ侍る、罷(まか)り立ち侍らん」とていぬ。「何事ぞ、生昌がいみじうおぢつるは」と問はせ給ふ。「あらず、車の入らざりつることいひ侍る」と申しておりぬ。
  
   同じ局に住む若き人々などして、萬(よろづ)の事も知らず、ねぶたければ皆寢ぬ。東の對の西の廂(ひさし)かけてある北の障子には、かけがねもなかりけるを、それも尋ねず。家主なれば、案内をよく知りてあけてけり。あやしう涸(か)ればみたるものの聲にて、「候(さぶら)はんにはいかが」と數多(あまた)たびいふ聲に、驚きて見れば、儿帳(きちょう)の後に立てたる燈臺の光もあらはなり。障子を五寸ばかりあけて言ふなりけり。いみじうをかし。更にかやうのすきずきしきわざ、ゆめにせぬものの、家におはしましたりとて、無下(むげ)に心にまかするなめりと思ふも、いとをかし。
  
   わが傍(かたわら)なる人を起して、「かれ見給へ、かかる見えぬものあめるを」といへば、頭をもたげて見やりて、いみじう笑ふ。「あれは誰ぞ、顯證(けしゅう)に」といへば、「あらず、家主人、局主人と定め申すべき事の侍るなり」と言へば、「門の事をこそ申しつれ、障子開け給へとやは言ふ」「なほその事申し侍らん、そこに侍はんはいかにいかに」と言へば、「いと見苦しきこと。更(ことさら)にえおはせじ」とて笑ふめれば、「若き人々おはしけり」とて、引き立てていぬる後に笑ふこといみじ。あけぬとならば、唯(ただ)まづ入りねかし。消息をするに、「よかなり」とは誰かはいはんと、げにをかしきに、つとめて、御前に參りて啓すれば、「さる事も聞えざりつるを、昨夜のことに愛でて、入りにたりけるなめり。あはれ彼をはしたなく言ひけんこそ、いとほしけれ」と笑はせ給ふ。
  
   姫宮の御かたの童女に、裝束せさすべきよし仰せらるるに、「わらはの袙(あこめ)の上襲(うわおそい)は何色に仕う奉るべき」と申すを、又笑ふもことわりなり。
   「姫宮の御前のものは、例のやうにては惡氣(にくげ)に候はん。ちうせい折敷(おしき)、ちうせい高杯(たかつき)にてこそよく候はめ」と申すを、「さてこそは、上襲(うわおそい)著たる童女もまゐりよからめ」と言ふを、「猶(なお)例の人のやうに、かくないひ笑ひそ、いときすくなるものを、いとほしげに」と制したまふもをかし。
  
   中間なるをりに、「大進ものきこえんとあり」と、人の告ぐるを聞し召して、「又なでふこといひて笑はれんとならん」と仰せらるるもいとをかし。
  
   「行きて聞け」とのたまはすれば、わざと出でたれば、「一夜の門のことを中納言に語り侍りしかば、いみじう感じ申されて、いかでさるべからんをりに對面して、申しうけたまはらんとなん申されつる」とて、またこともなし。一夜のことやいはんと、心ときめきしつれど、「今しづかに御局(おつぼね)にさぶらはん」と辭していぬれば、歸り參りたるに、「さて何事ぞ」とのたまはすれば、申しつる事を、さなんとまねび啓して、「わざと消息し、呼び出づべきことにもあらぬを、おのづからしづかに局などにあらんにもいへかし」とて笑へば、「おのが心地に賢しとおもふ人の譽めたるを、嬉しとや思ふとて、告げ知らするならん」とのたまはする御氣色(おんけしき)もいとめでたし。
  

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 (七段)
  
   うへに侍ふ御猫は、かうふり給はりて、命婦のおもととて、いとをかしければ、寵(かしづ)かせ給ふが、端に出でたるを、乳母の馬の命婦「あなまさなや、入り給へ」とよぶに、聞かで、日のさしあたりたるにうち眠りてゐたるを、おどすとて、「翁丸いづら、命婦のおもと食へ」といふに、まことかとて、しれもの走りかかりたれば、おびえ惑ひて、御簾の内に入りぬ。朝餉の間にうへはおはします。御覽じて、いみじう驚かせ給ふ。猫は御懷に入れさせ給ひて、男ども召せば、藏人忠隆まゐりたるに、「この翁丸打ち調じて、犬島につかはせ。只今」と仰せらるれば、集りて狩りさわぐ。馬の命婦もさいなみて、「乳母かへてん、いとうしろめたし」と仰せらるれば、かしこまりて、御前にも出でず。犬は狩り出でて、瀧口などして追ひつかはしつ。
  
   「あはれ、いみじくゆるぎ歩きつるものを。三月三日に、頭の辨柳のかづらをせさせ、桃の花かざしにささせ、櫻腰にささせなどして、ありかせ給ひしをり、かかる目見んとは思ひかけけんや」とあはれがる。「御膳のをりは、必むかひさぶらふに、さうざうしくこそあれ」などいひて、三四日になりぬ。ひるつかた、犬のいみじく泣く聲のすれば、なにぞの犬の、かく久しくなくにかあらんと聞くに、よろづの犬ども走り騒ぎとぶらひに行く。
  
   御厠人なるもの走り來て、「あないみじ、犬を藏人二人して打ちたまひ、死ぬべし。流させ給ひけるが歸りまゐりたるとて、調じ給ふ」といふ。心うのことや。翁丸なり。「忠隆實房なん打つ」といへば、制しに遣るほどに、辛うじてなき止みぬ。「死にければ門の外にひき棄てつ」といへば、あはれがりなどする夕つかた、いみじげに腫れ、あさましげなる犬のわびしげなるが、わななきありけば、「あはれ丸か、かかる犬やはこのごろは見ゆる」などいふに、翁丸と呼べど耳にも聞き入れず。
  
   それぞといひ、あらずといひ、口々申せば、「右近ぞ見知りたる、呼べ」とて、下なるを「まづとみのこと」とて召せば參りたり。「これは翁丸か」と見せ給ふに、「似て侍れども、これはゆゆしげにこそ侍るめれ。また翁丸と呼べば、悦びてまうで來るものを、呼べど寄りこず、あらぬなめり。それは打ち殺して、棄て侍りぬとこそ申しつれ。さるものどもの二人して打たんには、生きなんや」と申せば、心うがらせ給ふ。
  
   暗うなりて、物くはせたれど食はねば、あらぬものにいひなして止みぬる。つとめて、御梳櫛にまゐり、御手水まゐりて、御鏡もたせて御覽ずれば、侍ふに、犬の柱のもとについ居たるを、「あはれ昨日、翁丸をいみじう打ちしかな。死にけんこそ悲しけれ。何の身にかこのたびはなりぬらん。いかにわびしき心地しけん」とうちいふほどに、この寢たる犬ふるひわななきて、涙をただ落しにおとす。いとあさまし。さはこれ翁丸にこそありけれ。よべは隱れ忍びてあるなりけりと、あはれにて、をかしきことかぎりなし。御鏡をもうちおきて、「さは翁丸」といふに、ひれ伏していみじくなく。御前にもうち笑はせ給ふ。
  
  人々まゐり集りて、右近内侍召して、かくなど仰せらるれば、笑ひののしるを、うへにも聞し召して、渡らせおはしまして、「あさましう犬などもかかる心あるものなりけり」と笑はせ給ふ。うへの女房たちなども來りまゐり集りて呼ぶにも、今ぞ立ちうごく。なほ顏など腫れためり。「物調ぜさせばや」といへば、「終にいひあらはしつる」など笑はせ給ふに、忠隆聞きて、臺盤所のかたより、「まことにや侍らん、かれ見侍らん」といひたれば、「あなゆゆし、さる者なし」といはすれば、「さりとも終に見つくる折もはべらん、さのみもえかくさせ給はじ」といふなり。さて後畏勘事許されて、もとのやうになりにき。猶あはれがられて、ふるひなき出でたりし程こそ、世に知らずをかしくあはれなりしか。人々にもいはれて泣きなどす。
  
  
  (八段)
  
   正月一日、三月三日は、いとうららかなる。五月五日は曇りくらしたる。七月七日は曇り、夕がたは晴れたる空に月いとあかく、星のすがた見えたる。九月九日は、曉がたより雨少し降りて、菊の露もこちたくそぼち、おほひたる綿などもいたくぬれ、うつしの香ももてはやされたる。つとめては止みにたれど、なほ曇りて、ややもすれば、降り落ちぬべく見えたるもをかし。
  
  
  (九段)
  
   よろこび奏するこそをかしけれ。後をまかせて、笏とりて、御前の方に向ひてたてるを。拜し舞踏しさわぐよ。
  
  
  (一〇段)
  
   今内裏の東をば、北の陣とぞいふ。楢の木の遙にたかきが立てるを、常に見て、「幾尋かあらん」などいふに、權中將の、「もとより打ちきりて、定證僧都の枝扇にせさせばや」とのたまひしを、山階寺の別當になりて、よろこび申すの日、近衞府にて、この君の出で給へるに、高き屐子をさへはきたれば、ゆゆしく高し。出でぬる後こそ、「などその枝扇はもたせ給はぬ」といへば、「ものわすれせず」と笑ひ給ふ。
  

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(一一段)
  
   山は  小倉山。三笠山。このくれ山。わすれ山。いりたち山。鹿背山。ひはの山。かた

さり山こそ、誰に所おきけるにかと、をかしけれ。五幡山。後瀬山。笠取山。ひらの山。鳥籠の

山は、わが名もらすなと、みかどのよませ給ひけん、いとをかし。
   伊吹山。朝倉山、よそに見るらんいとをかしき。岩田山。大比禮山もをかし、臨時の祭の

使などおもひ出でらるべし。手向山。三輪の山、いとをかし。音羽山。待兼山。玉坂山。耳無山

。末の松山。葛城山。美濃の御山。柞山。位山。吉備の中山。嵐山。更級山。姨捨山。小鹽山。

淺間山。かたため山。かへる山。妹背山。
  
  
  (一二段)
  
   峯(みね=峰)は  ゆづるはの峯。阿彌陀の峯。彌高の峯。
  
  
  (一三段)
  
   原は  竹原。甕の原。朝の原。その原。萩原。粟津原。奈志原。うなゐごが原。安倍の

原。篠原。
  
  
  (一四段)
  
   市は  辰(たつ)の市。椿市は、大和に數多ある中に、長谷寺にまうづる人の、かなら

ずそこにとどまりければ、觀音の御縁あるにやと、心ことなるなり。おふさの市。餝摩の市。飛

鳥の市。
  
  
  (一五段)
  
   淵は  かしこ淵、いかなる底の心を見えて、さる名をつけけんと、いとをかし。ないり

その淵、誰にいかなる人の教へしならん。青色の淵こそまたをかしけれ。藏人などの身にしつべ

くて。いな淵。かくれの淵。のぞきの淵。玉淵。
  
  
  (一六段)
  
   海は  水うみ。與謝の海。かはぐちの海。伊勢の海。
  
  
  (一七段)
  
   山陵(みささぎ)は  うぐひすの陵(みささぎ)。柏原の陵。あめの陵。
  
  
  (一八段)
  
   わたり(渡)は  しかすがの渡。みつはしの渡。こりずまの渡。
  
  
  (一九段)
  
   家は  近衞(このえ)の御門(みかど)。二條。一條もよし。染殿の宮。清和院。菅原

の院。冷泉院。朱雀院。とうゐん。小野宮。紅梅。縣の井戸。東三條。小六條。小一條。
  

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 (二〇段)
  
   清涼殿のうしとらの隅の北のへだてなる御障子には、荒海の繪、生きたるものどものおそ

ろしげなる、手長足長をぞ書かれたる。うへの御局の戸、押しあけたれば、常に目に見ゆるを、

にくみなどして笑ふほどに、
  
   高欄のもとに、青き瓶の大なる据ゑて、櫻のいみじくおもしろき枝の五尺ばかりなるを、

いと多くさしたれば、高欄のもとまでこぼれ咲きたるに、ひるかつた、大納言殿、櫻の直衣の少

しなよらかなるに、濃き紫の指貫、白き御衣ども、うへに濃き綾の、いとあざやかなるを出して

參り給へり。うへのこなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷に居給ひて、ものなど奏し給

ふ。
  
   御簾のうちに、女房櫻の唐衣どもくつろかにぬぎ垂れつつ、藤山吹などいろいろにこのも

しく、あまた小半蔀の御簾より押し出でたるほど、晝御座のかたに御膳まゐる。足音高し。けは

ひなど、をしをしといふ聲聞ゆ。うらうらとのどかなる日の景色いとをかしきに、終の御飯もた

る藏人參りて、御膳奏すれば、中の戸より渡らせ給ふ。
  
   御供に大納言參らせ給ひて、ありつる花のもとに歸り居給へり。宮の御前の御儿帳押しや

りて、長押のもとに出でさせ給へるなど、唯何事もなく萬にめでたきを、さぶらふ人も、思ふこ

となき心地するに、月も日もかはりゆけどもひさにふるみ室の山のといふ故事を、ゆるるかにう

ち詠み出して居給へる、いとをかしと覺ゆる。げにぞ千歳もあらまほしげなる御ありさまなるや


  
   陪膳つかうまつる人の、男どもなど召すほどもなくわたらせ給ひぬ。「御硯の墨すれ」と

仰せらるるに、目はそらにのみにて、唯おはしますをのみ見奉れば、ほど遠き目も放ちつべし。

白き色紙おしたたみて、「これに只今覺えん故事、一つづつ書け」と仰せらるる。外に居給へる

に、「これはいかに」と申せば、「疾く書きて參らせ給へ、男はことくはへ侍ふべきにもあらず

」とて、御硯とりおろして、「とくとくただ思ひめぐらさで、難波津も何もふと覺えん事を」と

責めさせ給ふに、などさは臆せしにか、すべて面さへ赤みてぞ思ひみだるるや。春の歌、花の心

など、さいふいふも、上臈二つ三つ書きて、これにとあるに、
  
     年經れば齡は老いぬしかはあれど花をし見れは物おもひもなし
  
  といふことを、君をし見ればと書きなしたるを御覽じて、「唯このこころばへどもの、ゆか

しかりつるぞ」と仰せらる。ついでに、「圓融院の御時、御前にて、草紙に歌一つ書けと、殿上

人に仰せられけるを、いみじう書きにくく、すまひ申す人々ありける。更に手の惡しさ善さ、歌

の折にあはざらんをも知らじと仰せられければ、わびて皆書きける中に、ただいまの關白殿の、

三位の中將と聞えけるとき、
  
     しほのみついづもの浦のいつもいつも君をばふかくおもふはやわが
  
  といふ歌の末を、たのむはやわがと書き給へりけるをなん、いまじくめでさせ給ひける」と

仰せらるるも、すずろに汗あゆる心地ぞしける。若からん人は、さもえ書くまじき事のさまにや

とぞ覺ゆる。例いとよく書く人も、あいなく皆つつまれて、書きけがしなどしたるもあり。
  
   古今の草紙を御前に置かせ給ひて、歌どもの本を仰せられて、「これが末はいかに」と仰

せらるるに、すべて夜晝心にかかりて、おぼゆるもあり。げによく覺えず、申し出でられぬこと

は、いかなることぞ。宰相の君ぞ十ばかり。それもおぼゆるかは。まいて五つ六つなどは、ただ

覺えぬよしをぞ啓すべけれど、「さやはけ惡くく、仰事をはえなくもてなすべき」といひ口をし

がるもをかし。知ると申す人なきをば、やがて詠みつづけさせ給ふを、さてこれは皆知りたる事

ぞかし。「などかく拙くはあるぞ」といひ歎く中にも、古今あまた書き寫しなどする人は、皆覺

えぬべきことぞかし。
  
   「村上の御時、宣耀殿の女御と聞えけるは、小一條の左大臣殿の御女におはしましければ

、誰かは知り聞えざらん。まだ姫君におはしける時、父大臣の教へ聞えさせ給ひけるは、一つに

は御手を習ひ給へ、次にはきんの御琴を、いかで人にひきまさらんとおぼせ、さて古今の歌二十

卷を、皆うかべさせ給はんを、御學問にはさせたまへとなん聞えさせ給ひけると、きこしめしお

かせ給ひて、御物忌なりける日、古今をかくして、持てわたらせ給ひて、例ならず御几帳をひき

たてさせ給ひければ、女御あやしとおぼしけるに、御草紙をひろげさせたまひて、その年その月

、何のをり、その人の詠みたる歌はいかにと、問ひきこえさせたまふに、かうなりと心得させた

まふもをかしきものの、ひがおぼえもし、わすれたるなどもあらば、いみじかるべき事と、わり

なく思し亂れぬべし。そのかたおぼめかしからぬ人、二三人ばかり召し出でて、碁石して數を置

かせ給はんとて、聞えさせ給ひけんほど、いかにめでたくをかしかりけん。
  
   御前に侍ひけん人さへこそ羨しけれ。せめて申させ給ひければ、賢しうやがて末までなど

にはあらねど、すべてつゆ違ふ事なかりけり。いかでなほ少しおぼめかしく、僻事見つけてを止

まんと、ねたきまで思しける。十卷にもなりぬ。更に不用なりけりとて、御草紙に夾算して、み

とのごもりぬるもいとめでたしかし。いと久しうありて起きさせ給へるに、なほこの事左右なく

て止まん、いとわろかるべしとて、下の十卷を、明日にもならば他をもぞ見給ひ合するとて、今

宵定めんと、おほとなぶら近くまゐりて、夜更くるまでなんよませ給ひける。されど終に負け聞

えさせ給はずなりにけり。
  
  うへ渡らせ給ひて後、かかる事なんと、人々殿に申し奉りければ、いみじう思し騒ぎて、御

誦經など數多せさせ給ひて、そなたに向ひてなん念じ暮させ給ひけるも、すきずきしくあはれな

る事なり」など語り出させ給ふ。うへも聞しめして、めでさせ給ひ、「いかでさ多くよませ給ひ

けん、われは三卷四卷だにもえよみはてじ」と仰せらる。「昔はえせものも皆數寄をかしうこそ

ありけれ。このごろかやうなる事やは聞ゆる」など、御前に侍ふ人々、うへの女房のこなたゆる

されたるなど參りて、口々いひ出でなどしたる程は、誠に思ふ事なくこそ覺ゆれ。
  
  

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  (二一段)
  
   おひさきなく、まめやかに、えせさいはひなど見てゐたらん人は、いぶせくあなづらはしく思ひやられて、猶さりぬべからん人の女などは、さしまじらはせ、世の中の有樣も見せならはさまほしう、内侍などにても暫時(しばし)あらせばやとこそ覺ゆれ。
  
   「宮仕する人をば、あはあはし」など、わろきことに思ひゐたる男こそ、いとにくけれ。げにそもまたさる事ぞかし。かけまくも畏き御前を始め奉り、上達部、殿上人、四位、五位、六位、女房は更にもいはず、見ぬ人は少くこそはあらめ。女房の從者ども、その里より來るものども、長女、御厠人、たびしかはらといふまで、いつかはそれを耻ぢかくれたりし。殿ばらなどは、いとさしもあらずやあらん。
  
   それもある限は、さぞあらん。うへなどいひてかしづきすゑたるに、心にくからず覺えん理なれど、内侍のすけなどいひて、をりをり内裏へ參り、祭の使などに出でたるも、おもだたしからずやはある。さて籠りゐたる人はいとよし。受領の五節など出すをり、さりともいたうひなび、見知らぬ他人に問ひ聞きなどはせじと、心にくきものなり。
  
  
  (二二段)
  
   すさまじきもの  晝ほゆる犬。春の網代。三四月の紅梅のきぬ。嬰兒のなくなりたる産屋。火おこさぬ火桶、すびつ。牛にくみたる牛飼。博士のうちつづきに女子うませたる。方違にゆきたるにあるじせぬ所。まして節分はすさまじ。
  
   人の國よりおこせたる文の物なき。京のをもさこそは思ふらめども、されどそれはゆかしき事をも書きあつめ、世にある事を聞けばよし。人の許にわざと清げに書きたててやりつる文の、返事見ん、今は來ぬらんかしとあやしく遲きと待つほどに、ありつる文の結びたるもたて文も、いときたなげに持ちなしふくだめて、うへにひきたりつる墨さへ消えたるをおこせたりけり。「おはしまさざりけり」とも、もしは「物忌とて取り入れず」などいひてもて歸りたる、いとわびしくすさまじ。
  
   またかならず來べき人の許に、車をやりて待つに、入り來る音すれば、さななりと人々出でて見るに、車やどりに入りて、轅ほうとうち下すを、「いかなるぞ」と問へば、「今日はおはしまさず、渡り給はず」とて、牛のかぎりひき出でていぬる。
  
   また家動りてとりたる壻の來ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮仕する許やりて、いつしかと思ふも、いと本意なし。兒の乳母の唯あからさまとて往ぬるを、もとむれば、とかくあそばし慰めて、「疾く來」といひ遣りたるに、「今宵はえ參るまじ」とて返しおこせたる、すさまじきのみにもあらず、にくさわりなし。女などむかふる男、ましていかならん。待つ人ある所に、夜少し更けて、しのびやかに門を叩けば、胸少し潰れて、人出して問はするに、あらぬよしなきものの名のりしてきたるこそ、すさまじといふ中にも、かへすがへすすさまじけれ。
  
   驗者の物怪調ずとて、いみじうしたりがほに、獨鈷や珠數などもたせて、せみ聲にしぼり出し讀み居たれど、いささか退氣もなく、護法もつかねば、集めて念じゐたるに、男も女も怪しと思ふに、時のかはるまで讀みこうじて、「更につかず、たちね」とて珠數とりかへして、あれと「驗なしや」とうちいひて、額より上ざまに頭さぐりあげて、あくびを己うちして、よりふしぬる。
  
   除目に官得ぬ人の家、今年はかならずと聞きて、はやうありし者どもの、外々なりつる、片田舎に住む者どもなど、皆集り來て、出で入る車の轅もひまなく見え、物まうでする供にも、われもわれもと參り仕うまつり、物食ひ酒飮み、ののしりあへるに、はつる曉まで門叩く音もせず。「怪し」など耳立てて聞けば、さきおふ聲して上達部など皆出で給ふ。ものききに、宵より寒がりわななき居りつるげす男など、いと物うげに歩み來るを、をるものどもは、とひだにもえ問はず。外よりきたる者どもなどぞ、「殿は何にかならせ給へる」など問ふ。答には、「何の前司にこそは」と、必いらふる。まことに頼みける者は、いみじう歎かしと思ひたり。翌朝になりて、隙なくをりつる者も、やうやう一人二人づつすべり出でぬ。ふるきものの、さもえ行き離るまじきは、來年の國々を手を折りて數へなどして、ゆるぎ歩きたるも、いみじういとほしう、すさまじげなり。
  
   よろしう詠みたりと思ふ歌を、人の許に遣りたるに返しせぬ。懸想文はいかがせん、それだにをりをかしうなどある返事せぬは、心おとりす。又さわがしう時めかしき處に、うちふるめきたる人の、おのがつれづれと暇あるままに、昔覺えて、ことなる事なき歌よみして遣せたる。物のをりの扇、いみじと思ひて、心ありと知りたる人にいひつけたるに、その日になりて、思はずなる繪など書きてえたる。
  
   産養、馬餞などの使に、禄などとらせぬ。はかなき藥玉、卯槌などもてありく者などにも、なほ必とらすべし。思ひかけぬことに得たるをば、いと興ありと思ふべし。これはさるべき使ぞと、心ときめきして來るに、ただなるは、誠にすさまじきぞかし。
  
   壻とりて、四五年までうぶやのさわぎせぬ所。おとななる子どもあまた、ようせずば、孫などもはひありきぬべき人の親どちの晝寢したる。傍なる子どもの心地にも、親のひるねしたるは、よりどころなくすさまじくぞあるべき。寢起きてあぶる湯は、腹だたしくさへこそ覺ゆれ。十二月の晦日のなが雨、一日ばかりの精進の懈怠とやいふべからん。八月のしらがさね。乳あへずなりぬる乳母。

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  (二三段)
  
   たゆまるるもの  精進の日のおこなひ。日遠きいそぎ。寺に久しく籠(こも)りこもりたる。
  
  
  (二四段)
  
   人にあなづらるるもの  家の北おもて。あまり心よしと人に知られたる人。年老いたるおきな。又あはあはしき女。築土のくづれ。
  
  
  (二五段)
  
   にくきもの  急ぐ事あるをりに、長言する客人(まろうど)。あなづらはしき人ならば、「後に」などいひても追ひやりつべけれども、さすがに心はづかしき人、いとにくし。
  
   硯に髮の入りてすられたる。また墨の中に石こもりて、きしきしときしみたる。俄にわづらふ人のあるに、驗者もとむるに、例ある所にはあらで、外にある、尋ねありくほどに、待遠にひさしきを、辛うじて待ちつけて、悦びながら加持せさするに、このごろ物怪に困じにけるにや、ゐるままに即ねぶり聲になりたる、いとにくし。
  
   何でふことなき人の、すずろにえがちに物いたういひたる。火桶すびつなどに、手のうらうちかへし、皺おしのべなどしてあぶりをるもの。いつかは若やかなる人などの、さはしたりし。老ばみうたてあるものこそ、火桶のはたに足をさへもたげて、物いふままに、おしすりなどもするらめ。さやうのものは、人のもとに來てゐんとする所を、まづ扇して塵拂ひすてて、ゐも定まらずひろめきて、狩衣の前、下ざまにまくり入れてもゐるかし。かかることは、いひがひなきものの際にやと思へど、少しよろしき者の式部大夫、駿河前司などいひしがさせしなり。
  
  また酒飮みて、赤き口を探り、髯あるものはそれを撫でて、盃人に取らするほどのけしき、いみじくにくしと見ゆ。また「飮め」などいふなるべし、身ぶるひをし、頭ふり、口わきをさへひきたれて、「わらはべのこうどのに參りて」など、謠ふやふにする。それはしも誠によき人のさし給ひしより、心づきなしと思ふなり。
  
   物うらやみし、身のうへなげき、人のうへいひ、露ばかりの事もゆかしがり、聞かまほしがりて、いひ知らぬをば怨じそしり、又わづかに聞きわたる事をば、われもとより知りたる事のやうに、他人にも語りしらべいふも、いとにくし。物聞かんと思ふほどに泣く兒。烏の集りて飛びちがひ鳴きたる。忍びて來る人見しりて吠ゆる犬は、うちも殺しつべし。さるまじうあながちなる所に、隱し伏せたる人の、鼾したる。又密に忍びてくる所に、長烏帽子して、さすがに人に見えじと惑ひ出づるほどに、物につきさはりて、そよろといはせたる、いみじうにくし。
  
  伊豫簾など懸けたるをうちかつぎて、さらさらとならしたるも、いとにくし。帽額の簾はましてこはき物のうちおかるる、いとしるし。それもやをら引きあげて出入するは、更に鳴らず。又遣戸など荒くあくるも、いとにくし。少しもたぐるやうにて開くるは、鳴りやはする。あしうあくれば、障子などもたをめかし、こほめくこそしるけれ。
  
   ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊のほそ聲になのりて、顏のもとに飛びありく、羽風さへ身のほどにるこそ、いとにくけれ。
  
   きしめく車に乘りて歩くもの、耳も聞かぬにやあらんと、いとにくし。わが乘りたるは、その車のぬしさへにくし。物語などするに、さし出でてわれひとり才まぐるもの。すべてさし出は、童も大人もいとにくし。昔物語などするに、われ知りたりけるは、ふと出でていひくたしなどする、いとにくし。鼠の走りありく、いとにくし。
  
   あからさまにきたる子ども童をらうたがりて、をかしき物など取らするに、ならひて、常に來て居入りて、調度やうち散らしぬる、にくし。
  
   家にても宮仕所にても、逢はでありなんと思ふ人の來るに、虚寐をしたるを、わが許にあるものどもの起しによりきては、いぎたなしと思ひ顏に、ひきゆるがしたるいとにくし。新參のさしこえて、物しり顏にをしへやうなる事いひ、うしろみたる、いとにくし。
  
   わが知る人にてあるほど、はやう見し女の事、譽めいひ出しなどするも、過ぎてほど經にけれど、なほにくし、ましてさしあたりたらんこそ思ひやらるれ。されどそれは、さしもあらぬやうもありかし。
  
   はなひて誦文する人。大かた家の男しうならでは、高くはなひたるもの、いとにくし。
  
   蚤もいとにくし。衣の下にをどりありきて、もたぐるやうにするも、また犬のもろ聲に長々となきあげたる。まがまがしくにくし。
  
  
  (二六段)
  
   にくきもの、乳母(めのと)の男こそあれ、女はされど近くも寄らねばよし。男子をば、ただわが物にして、立ちそひ領じてうしろみ、いささかもこの御事に違ふものをば讒し、人をば人とも思ひたらず、怪しけれど、これがとがを心に任せていふ人もなければ、處得いみじきおももちして、事を行ひなどするよ。
  
  
  (二七段)
  
   ふみことばなめき人こそ、いとどにくけれ。世をなのめに書きなしたる、詞のにくきこそ。さるまじき人のもとに、あまりかしこまりたるも、實にわろき事ぞ。されど我えたらんは理、人のもとなるさへにくくこそあれ。
   大かたさし向ひても、なめきは、などかく言ふらんとかたはらいたし。ましてよき人などをさ申す者は、さるはをこにていとにくし。
   男しうなどわろくいふ、いとわろし。わが使ふものなど、おはする、のたまふなどいひたる、いとにくし。ここもとに侍るといふ文字をあらせばやと聞くことこそ多かめれ。
  
   「愛敬なくと、詞しなめき」などいへば、いはるる人も聞く人も笑ふ。かく覺ゆればにや、「あまり嘲哢する」などいはるるまである人も、わろきなるべし。
   殿上人宰相などを、ただなのる名を、聊つつましげならずいふは、いとかたはなるを、げによくさいはず、女房の局なる人をさへ、あのおもと君などいへば、めづらかに嬉しと思ひて、譽むる事ぞいみじき。殿上人公達を、御前より外にては官をいふ。また御前にて物をいふとも、きこしめさんには、などてかは、まろがなどいはん。さいはざらんにくし。かくいはんに、わろかるべき事かは。
  

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  (二八段)
  
   暁に帰らむ人は、装束なといみじううるはしう、鳥帽子の緒、元結かためずともありなむとこそ、おぼゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣、狩衣などゆがめたりとも、誰か見知りて笑ひそしりもせむ。
   人はなほ、暁の有様こそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに、起きがたげなるを、強ひてそそのかし、「明け過ぎむ。あな見苦し」など言はれて、うち嘆くけしきも、げに飽かずもの憂くもあらむかし、と見ゆ。指貫なども、居ながら着もやらず、まづさし寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、なにわざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。格子押し上げ、妻戸ある所は、やがてもろともに率て行きて、昼のほどのおぼつかなからむことなども言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて、名残もをかしかりなむ。思ひいで所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰こそこそとかはは結ひ、直衣、袍、狩衣も、袖かいまくりて、よろづさし入れ、帯いとしたたかに結ひ果てて、つい居て、鳥帽子の緒、きと強げに結ひ入れて、かいすふる音して、扇、畳紙など、昨夜枕上に置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、「いづら、いづら」と叩きわたし、見いでて、扇ふたふたと使ひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかりこそ言ふらめ。
  
  
  (二九段)
  
   心ときめきするもの  雀の子。兒あそばする所の前わたりたる。
   よき薫物たきて一人臥したる。唐鏡の少しくらき見たる。よき男の車とどめて物いひ案内せさせたる。
  
   頭洗ひ化粧じて、香にしみたる衣著たる。殊に見る人なき所にても、心のうちはなほをかし。待つ人などある夜、雨の脚、風の吹きゆるがすも、ふとぞおどろかるる。
  
  
  (三〇段)
  
   すぎにしかたのこひしきもの  枯れたる葵。雛あそびの調度。
  
   二藍、葡萄染などのさいでの、おしへされて、草紙の中にありけるを見つけたる。また折からあはれなりし人の文、雨などの降りて徒然なる日さがし出でたる。
  
   去年のかはぼり。月のあかき夜。
  
  
  (三一段)
  
   こころゆくもの  よくかいたる女繪の詞をかしうつづけておほかる。物見のかへさに乘りこぼれて、男どもいと多く、牛よくやるものの車走らせたる。白く清げなる檀紙に、いとほそう書くべくはあらぬ筆して文書きたる。川船のくだりざま。齒黒のよくつきたる。重食に丁多くうちたる。うるはしき糸のねりあはせぐりしたる。
  
   物よくいふ陰陽師して、河原に出でてずその祓したる。
   夜寢起きて飮む水。
   徒然なるをりに、いとあまり睦しくはあらず、踈くもあらぬ賓客のきて、世の中の物がたり、この頃ある事の、をかしきも、にくきも、怪しきも、これにかかり、かれにかかり、公私おぼつかなからず、聞きよきほどに語りたる、いと心ゆくここちす。
  
   社寺などに詣でて物申さするに、寺には法師、社には禰宜などやうのものの、思ふほどよりも過ぎて、滯なく聞きよく申したる。
  
  
  (三二段)
  
   檳榔毛はのどやかにやりたる。急ぎたるは輕々しく見ゆ。
  
   網代(あじろ)は走らせたる。人の門より渡りたるを、ふと見るほどもなく過ぎて、供の人ばかり走るを、誰ならんと思ふこそをかしけれ。ゆるゆると久しく行けばいとわろし。
  
  
  (三三段)
  
   牛は額いとちひさく白みたるが、腹のした、足のしも、尾のすそ白き。
  
  
  (三四段)
  
   馬は紫の斑(まだら)づきたる。蘆毛。いみじく黒きが、足肩のわたりなどに、白き處、うす紅梅の毛にて、髮尾などもいとしろき、實にゆふかみともいひつべき。
  
  
  (三五段)
  
   牛飼は大にて、髮赤白髮にて、顏の赤みてかどかどしげなる。
  
  
  (三六段)
  
   雜色隨身(ぞうしきずいしん)はほそやかなる。よき男も、なほ若きほどは、さるかたなるぞよき。いたく肥えたるは、ねぶたからん人と思はる。
  
  
  (三七段)
  
   小舎人(こどねり)はちひさくて、髮のうるはしきが、すそさわらかに、聲をかしうて、畏りて物などいひたるぞ、りやうりやうじき。
  
  
  (三八段)
  
   猫は上のかぎり黒くて、他はみな白からん。
  
  
  (三九段)
  
   説經師は顏よき、つとまもらへたるこそ、その説く事のたふとさも覺ゆれ。外目しつればふと忘るるに、にくげなるは罪や得らんと覺ゆ。この詞はとどむべし。少し年などのよろしきほどこそ、かやうの罪はえがたの詞かき出でけめ。今は罪いとおそろし。
  
   又(また)「たふときこと、道心おほかり」とて、説經すといふ所に、最初に行きぬる人こそ、なほこの罪の心地には、さしもあらで見ゆれ。
  
  
  (四〇段)
  
   藏人(くろうど)おりたる人、昔は、御前などいふこともせず、その年ばかり、内裏あたりには、まして影も見えざりける。今はさしもあらざめる。藏人の五位とて、それをしもぞ忙しうつかへど、なほ名殘つれづれにて、心一つは暇ある心地ぞすべかめれば、さやうの所に急ぎ行くを、一たび二たび聞きそめつれば、常にまうでまほしくなりて、夏などのいとあつきにも、帷子いとあざやかに、薄二藍、青鈍の指貫などふみちらしてゐためり。烏帽子にもの忌つけたるは、今日さるべき日なれど、功徳のかたにはさはらずと見えんとにや。
  
   いそぎ來てその事するひじりと物語して、車たつるさへぞ見いれ、ことにつきたるけしきなる。久しく逢はざりける人などの、まうで逢ひたる、めづらしがりて、近くゐより物語し、うなづき、をかしき事など語り出でて、扇ひろうひろげて、口にあてて笑ひ、裝束したる珠數かいまさぐり、手まさぐりにし、こなたかなたうち見やりなどして、車のよしあしほめそしり、なにがしにてその人のせし八講、經供養などいひくらべゐたるほどに、この説經の事もきき入れず。なにかは、常に聞くことなれば、耳馴れて、めづらしう覺えぬにこそはあらめ。
  
   さはあらで講師ゐてしばしあるほどに、さきすこしおはする車とどめておるる人、蝉の羽よりも輕げなる直衣、指貫、すずしのひとへなど著たるも、狩衣姿にても、さやうにては若くほそやかなる三四人ばかり、侍のもの又さばかりして入れば、もとゐたりつる人も、少しうち身じろきくつろぎて、高座のもと近き柱のもとなどにすゑたれば、さすがに珠數おしもみなどして、伏し拜みゐたるを、講師もはえばえしう思ふなるべし、いかで語り傳ふばかりと説き出でたる、
  
   聽問すなど、立ち騒ぎぬかづくほどにもなくて、よきほどにて立ち出づとて、車どものかたなど見おこせて、われどちいふ事も何事ならんと覺ゆ。見知りたる人をば、をかしと思ひ、見知らぬは、誰ならん、それにや彼にやと、目をつけて思ひやらるるこそをかしけれ。
  
   説經しつ、八講しけりなど人いひ傳ふるに、「その人はありつや」「いかがは」など定りていはれたる、あまりなり。などかは無下にさしのぞかではあらん。あやしき女だに、いみじく聞くめるものをば。さればとて、はじめつかたは徒歩する人はなかりき。たまさかには、つぼ裝束などばかりして、なまめきけさうじてこそありしか。それも物詣をぞせし。説經などは殊に多くも聞かざりき。この頃その折さし出でたる人の、命長くて見ましかば、いかばかりそしり誹謗せまし。
  

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  (四一段)
  
   菩提といふ寺に結縁(けちえん)八講せしが、聽きにまうでたるに、人のもとより「疾く歸り給え、いとさうざうし」と言ひたれば、蓮の花びらに、
  
     もとめてもかかる蓮の露をおきてうき世にまたは歸るものかは
  
  と書きてやりつ。誠にいとたふとくあはれなれば、やがてとまりぬべくぞ覺ゆる。さうちうが家の人のもどかしさも忘れぬべし。
  
  
  (四二段)
  
   小白川といふ所は、小一條の大將の御家ぞかし。それにて上達部、結縁の八講し給ふに、いみじくめでたき事にて、世の中の人の集り行きて聽く。遲からん車はよるべきやうもなしといへば、露と共に急ぎ起きて、實にぞひまなかりける。轅の上に又さし重ねて、三つばかりまでは、少し物も聞ゆべし。
  
   六月十日餘にて、暑きこと世に知らぬほどなり。池の蓮を見やるのみぞ、少し涼しき心地する。左右の大臣たちをおき奉りては、おはせぬ上達部なし。二藍の直衣指貫、淺黄の帷子をぞすかし給へる。少しおとなび給へるは、青にびのさしぬき、白き袴もすずしげなり。安親の宰相なども若やぎだちて、すべてたふときことの限にもあらず、をかしき物見なり。
  
   廂の御簾高くまき上げて、長押のうへに上達部奧に向ひて、ながながと居給へり。そのしもには殿上人、わかき公達、かりさうぞく直衣なども、いとをかしくて、居もさだまらず、ここかしこに立ちさまよひ、あそびたるもいとをかし。實方の兵衞佐、長明の侍從など、家の子にて、今すこしいでいりなれたり。まだ童なる公達など、いとをかしうておはす。
  
   少し日たけたるほどに、三位中將とは關白殿をぞ聞えし、香の羅、二藍の直衣、おなじ指貫、濃き蘇枋の御袴に、張りたる白き單衣のいとあざやかなるを著給ひて、歩み入り給へる、さばかりかろび涼しげなる中に、あつかはしげなるべけれど、いみじうめでたしとぞ見え給ふ。細塗骨など、骨はかはれど、ただ赤き紙を同じなみにうちつかひ持ち給へるは、瞿麥のいみじう咲きたるにぞ、いとよく似たる。
  
   まだ講師ものぼらぬほどに、懸盤どもして、何にかはあらん物まゐるべし。義懷の中納言の御ありさま、常よりも勝りて清げにおはするさまぞ限なきや。上達部の御名など書くべきにもあらぬを。誰なりけんと、少しほど經れば、色あひはなばなといみじく、匂あざやかに、いづれともなき中の帷子を、これはまことに、ただ直衣一つを著たるやうにて、常に車のかたを見おこせつつ、物などいひおこせ給ふ。をかしと見ぬ人なかりけんを、
  
   後にきたる車の隙もなかりければ、池にひき寄せてたてたるを見給ひて、實方の君に、「人の消息つきづきしくいひつべからんもの一人」と召せば、いかなる人にかあらん、選りて率ておはしたるに、「いかがいひ遣るべき」と、近く居給へるばかりいひ合せて、やり給はん事は聞えず。いみじくよそひして、車のもとに歩みよるを、かつは笑ひ給ふ。後のかたによりていふめり。久しく立てれば、「歌など詠むにやあらん、兵衞佐返しおもひまうけよ」など笑ひて、いつしか返事聞かんと、おとな上達部まで、皆そなたざまに見やり給へり。實に顯證の人々まで見やりしもをかしうありしを、
  
   返事ききたるにや、すこし歩みくるほどに、扇をさし出でて呼びかへせば、歌などの文字をいひ過ちてばかりこそ呼びかへさめ。久しかりつるほどに、あるべきことかは、なほすべきにもあらじものをとぞ覺えたる。近く參りつくも心もとなく、「いかにいかに」と誰も問ひ給へどもいはず。權中納言見給へば、そこによりてけしきばみ申す。三位中將、「疾くいへ、あまり有心すぎてしそこなふな」との給ふに、「これも唯おなじ事になん侍る」といふは聞ゆ。藤大納言は人よりもけにのぞきて、「いかがいひつる」との給ふめれば、三位中將、「いとなほき木をなん押し折りためる」と聞え給ふに、うち笑ひ給へば、皆何となくさと笑ふ聲、聞えやすらん。
  
   中納言「さて呼びかへされつるさきには、いかがいひつる、これやなほしたること」と問ひ給へば、「久しうたちて侍りつれども、ともかくも侍らざりつれば、さは參りなんとてかへり侍るを、呼びて」とぞ申す。「誰が車ならん、見知りたりや」などのたまふ程に、講師ののぼりぬれば、皆居しづまりて、そなたをのみ見る程に、この車はかいけつやうにうせぬ。下簾など、ただ今日はじめたりと見えて、濃きひとへがさねに、二藍の織物、蘇枋の羅のうはぎなどにて、しりにすりたる裳、やがて廣げながらうち懸けなどしたるは、何人ならん。何かは、人のかたほならんことよりは、實にと聞えて、なかなかいとよしとぞ覺ゆる。
  
   朝座の講師清範、高座のうへも光滿ちたる心地して、いみじくぞあるや。暑さのわびしきにそへて、しさすまじき事の、今日すぐすまじきをうち置きて、唯少し聞きて歸りなんとしつるを、敷竝に集ひたる車の奧になんゐたれば、出づべきかたもなし。朝の講はてなば、いかで出でなんとて、前なる車どもに消息すれば、近くたたんうれしさにや、はやばやと引き出であけて出すを見給ふ。いとかしがましきまで人ごといふに、老上達部さへ笑ひにくむを、ききも入れず、答もせで狹がり出づれば、權中納言「ややまかりぬるもよし」とて、うち笑ひ給へるぞめでたき。それも耳にもとまらず、暑きに惑ひ出でて、人して、「五千人の中には入らせ給はぬやうもあらじ」と聞えかけて歸り出でにき。
  
   そのはじめより、やがてはつる日までたてる車のありけるが、人寄り來とも見えず、すべてただあさましう繪などのやうにて過しければ、「ありがたく、めでたく、心にくく、いかなる人ならん、いかで知らん」と問ひけるを聞き給ひて、藤大納言、「何かめでたからん、いとにくし、ゆゆしきものにこそあなれ」とのたまひけるこそをかしけれ。
  
   さてその二十日あまりに、中納言の法師になり給ひにしこそあはれなりしか。櫻などの散りぬるも、なほ世の常なりや。「老を待つ間(ま)の」とだに言ふべくもあらぬ御有樣にこそ見え給ひしか。
  

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  (四三段)
  
   七月ばかり、いみじく暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月のころは寐起きて見いだすもいとをかし。闇もまたをかし。有明はたいふもおろかなり。
  
   いとつややかなる板の端近う、あざやかなる疊一枚かりそめにうち敷きて、三尺の儿帳、奧のかたに押しやりたるぞあぢきなき。端にこそ立つべけれ、奧のうしろめたからんよ。
  
   人は出でにけるなるべし。薄色のうらいと濃くて、うへは少しかへりたるならずは、濃き綾のつややかなるが、いたくはなえぬを、かしらこめてひき著てぞねためる。香染のひとへ、紅のこまやかなるすずしの袴の、腰いと長く衣の下よりひかれたるも、まだ解けながらなめり。傍のかたに髮のうちたたなはりてゆららかなるほど、長き推しはかられたるに、又いづこよりにかあらん、朝ぼらけのいみじう霧滿ちたるに、二藍の指貫、あるかなきかの香染の狩衣、白きすずし、紅のいとつややかなるうちぎぬの、霧にいたくしめりたるをぬぎ垂れて、鬢の少しふくだみたれば、烏帽子の押し入れられたるけしきもしどけなく見ゆ。
  
   朝顏の露落ちぬさきに文書かんとて、道のほども心もとなく、おふの下草など口ずさびて、わがかたへ行くに、格子のあがりたれば、御簾のそばをいささかあげて見るに、起きていぬらん人もをかし。露をあはれと思ふにや、しばし見たれば、枕がみのかたに、朴に紫の紙はりたる扇、ひろごりながらあり。檀紙の疊紙のほそやかなるが、花か紅か、少しにほひうつりたるも儿帳のもとに散りぼひたる。
  
   人のけはひあれば、衣の中より見るに、うち笑みて長押におしかかりゐたれば、はぢなどする人にはあらねど、うちとくべき心ばへにもあらぬに、ねたうも見えぬるかなと思ふ。「こよなき名殘の御あさいかな」とて、簾の中に半ばかり入りたれば、「露よりさきなる人のもどかしさに」といらふ。をかしき事とりたてて書くべきにあらねど、かく言ひかはすけしきどもにくからず。
  
   枕がみなる扇を、我もちたるしておよびてかき寄するが、あまり近う寄りくるにやと心ときめきせられて、今少し引き入らるる。取りて見などして、疎くおぼしたる事などうちかすめ恨みなどするに、あかうなりて、人の聲々し、日もさし出でぬべし。霧の絶間見えぬほどにと急ぎつる文も、たゆみぬるこそうしろめたけれ。
  
   でぬる人も、いつの程にかと見えて、萩の露ながらあるにつけてあれど、えさし出でず。香のかのいみじうしめたる匂いとをかし。あまりはしたなき程になれば、立ち出でて、わがきつる處もかくやと思ひやらるるもをかしかりぬべし。
  
  
  (四四段)
  
   木の花は  梅の濃くも薄くも紅梅。
   櫻の花びらおほきに、葉色こきが、枝ほそくて咲きたる。
   藤の花、しなひ長く色よく咲きたる、いとめでたし。卯の花は品おとりて何となけれど、咲く頃のをかしう、杜鵑のかげにかくるらんと思ふにいとをかし。祭のかへさに、紫野のわたり近きあやしの家ども、おどろなる垣根などに、いと白う咲きたるこそをかしけれ。青色のうへに白き單襲かづきたる、青朽葉などにかよひていとをかし。
  
   四月のつごもり、五月のついたちなどのころほひ、橘の濃くあをきに、花のいとしろく咲きたるに、雨のふりたる翌朝などは、世になく心あるさまにをかし。花の中より、實のこがねの玉かと見えて、いみじくきはやかに見えたるなど、あさ露にぬれたる櫻にも劣らず、杜鵑のよすがとさへおもへばにや、猶更にいふべきにもあらず。
  
   梨の花、世にすさまじく怪しき物にして、目にちかく、はかなき文つけなどだにせず、愛敬おくれたる人の顏など見ては、たとひにいふも、實にその色よりしてあいなく見ゆるを、唐土にかぎりなき物にて、文にも作るなるを、さりともあるやうあらんとて、せめて見れば、花びらのはしに、をかしきにほひこそ、心もとなくつきためれ。楊貴妃、皇帝の御使に逢ひて泣きける顏に似せて、梨花一枝春の雨を帶びたりなどいひたるは、おぼろけならじと思ふに、猶いみじうめでたき事は類あらじと覺えたり。
  
   桐の花、紫に咲きたるはなほをかしきを、葉のひろごり、さまうたてあれども、又他木どもとひとしう言ふべきにあらず。唐土にことごとしき名つきたる鳥の、これにしも住むらん、心ことなり。まして琴に作りてさまざまなる音の出でくるなど、をかしとは尋常にいふべくやはある。いみじうこそはめでたけれ。
  
   木のさまぞにくげなれど、樗の花いとをかし。かればなに、さまことに咲きて、かならず五月五日にあふもをかし。
  
  
  (四五段)
  
   池は  勝間田の池。盤余の池。にえのの池、初瀬に參りしに、水鳥のひまなくたちさわぎしが、いとをかしく見えしなり。
  
   水なしの池、あやしうなどて附けけるならんといひしかば、五月など、すべて雨いたく降らんとする年は、この池に水といふ物なくなんある、又日のいみじく照る年は、春のはじめに水なん多く出づるといひしなり。無下になく乾きてあらばこそさもつけめ、出づるをりもあるなるを、一すぢにつけけるかなと答へまほしかりし。
  
   猿澤の池、采女の身を投げけるを聞しめして、行幸などありけんこそいみじうめでたけれ。ねくたれ髮をと人丸が詠みけんほど、いふもおろかなり。御まへの池、又何の意につけけるならんとをかし。鏡の池。狹山の池、みくりといふ歌のをかしく覺ゆるにやあらん。
  
   こひぬまの池。原の池、玉藻はな刈りそといひけんもをかし。ますだの池。
  
  
  (四六段)
  
   節(せち)は、五月にしくはなし。菖蒲蓬などのかをりあひたるもいみじうをかし。九重の内をはじめて、いひしらぬ民の住家まで、いかでわがもとに繁くふかんと葺きわたしたる、猶いとめづらしく、いつか他折はさはしたりし。
  
   空のけしきの曇りわたりたるに、后宮などには、縫殿より、御藥玉とていろいろの糸をくみさげて參らせたれば、御几帳たてまつる母屋の柱の左右につけたり。九月九日の菊を、綾と生絹のきぬに包みて參らせたる、同じ柱にゆひつけて、月ごろある藥玉取り替へて捨つめる。又藥玉は菊のをりまであるべきにやあらん。されどそれは皆糸をひき取りて物ゆひなどして、しばしもなし。
  
   御節供まゐり、わかき人々は菖蒲のさしぐしさし、物忌つけなどして、さまざま唐衣、汗衫、ながき根、をかしきをり枝ども、村濃の組して結びつけなどしたる、珍しういふべきことならねどいとをかし。さても春ごとに咲くとて、櫻をよろしう思ふ人やはある。
  
   辻ありく童女の、ほどほどにつけては、いみじきわざしたると、常に袂をまもり、人に見くらべ えもいはず興ありと思ひたるを、そばへたる小舎人童などにひきとられて、泣くもをかし。
  
   紫の紙に樗の花、青き紙に菖蒲の葉、細うまきてひきゆひ、また白き紙を根にしてゆひたるもをかし。いと長き根など文の中に入れなどしたる人どもなども、いと艶なる返事かかんといひ合せかたらふどちは、見せあはしなどする、をかし。人の女、やんごとなき所々に御文聞え給ふ人も、今日は心ことにぞなまめかしうをかしき。夕暮のほどに杜鵑の名のりしたるも、すべてをかしういみじ。

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 (四七段)
  
   木は  桂。五葉。柳。橘。
   そばの木、はしたなき心地すれども、花の木ども散りはてて、おしなべたる緑になりたる

中に、時もわかず濃き紅葉のつやめきて、思ひかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。
  
   檀(まゆみ)更(さら)にもいはず。そのものともなけれど、やどり木といふ名いとあは

れなり。榊、臨時の祭、御神樂のをりなどいとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前の物とい

ひはじめけんも、とりわきをかし。
  
   くすの木は、木立おほかる所にも殊にまじらひたてらず、おどろおどろしき思ひやりなど

うとましきを、千枝にわかれて戀する人の例にいはれたるぞ、誰かは數を知りていひ始めけんと

おもふにをかし。
  
   檜、人ぢかからぬものなれど、みつばよつばの殿づくりもをかし。五月に雨の聲まねぶら

んもをかし。楓の木、ささやかなるにも、もえ出でたる梢の赤みて、同じかたにさし廣ごりたる

葉のさま、花もいと物はかなげにて、むしなどの枯れたるやうにてをかし。
  
   あすはひの木、この世近くも見えきこえず、御嶺に詣でて歸る人など、しか持てありくめ

る。枝ざしなどのいと手ふれにくげに荒々しけれど、何の意ありてあすはひの木とつけけん、あ

ぢきなき兼言なりや。誰にたのめたるにかあらんと思ふに、知らまほしうをかし。
  
   ねずもちの木、人なみなみなるべき樣にもあらねど、葉のいみじうこまかに小さきがをか

しきなり。樗の木。山梨の木。椎の木は、常磐木はいづれもあるを、それしも葉がへせぬ例にい

はれたるもをかし。
  
   白樫などいふもの、まして深山木の中にもいと氣遠くて、三位二位のうへのきぬ染むる折

ばかりぞ、葉をだに人の見るめる。めでたき事、をかしき事にとり出づべくもあらねど、いつと

なく雪の降りたるに見まがへられて、素盞嗚尊の出雲國におはしける御事を思ひて、人丸が詠み

たる歌などを見る、いみじうあはれなり。いふ事にても、をりにつけても、一ふしあはれともを

かしとも聞きおきつる物は、草も木も鳥蟲も、おろかにこそ覺えね。
  
   楪のいみじうふさやかにつやめきたるは、いと青う清げなるに、思ひかけず似るべくもあ

らず。莖の赤うきらきらしう見えたるこそ、賤しけれどもをかしけれ。なべての月頃はつゆも見

えぬものの、十二月の晦日にしも時めきて、亡人のくひ物にもしくにやとあはれなるに、又齡延

ぶる齒固の具にもしてつかひためるは、いかなるにか。紅葉せん世やといひたるもたのもし。
  
   柏木いとをかし。葉守の神のますらんもいとかしこし。兵衞佐、尉などをいふらんもをか

し。すがたなけれど、椶櫚の木、からめきて、わろき家のものとは見えず。
  
  
  (四八段)
  
   鳥は  他處の物なれど、鸚鵡いとあはれなり。人のいふらんことをまねぶらんよ。杜鵑

。水鷄。鴫。みこ鳥。鶸。火燒。
  
   山鳥は友を戀ひて鳴くに、鏡を見せたれば慰むらん、いとあはれなり。谷へだてたるほど

などいと心ぐるし。鶴はこちたきさまなれども、鳴く聲雲井まで聞ゆらん、いとめでたし。頭赤

き雀斑。斑鳩の雄。巧鳥。
  
   鷺はいと見る目もみぐるし。まなこゐなども、うたて萬になつかしからねど、万木の森に

ひとりは寢じと、爭ふらんこそをかしけれ。
  
   容鳥。水鳥は鴛鴦いとあはれなり。互に居かはりて、羽のうへの霜を拂ふらんなどいとを

かし。都鳥。川千鳥は友まどはすらんこそ。雁の聲は遠く聞えたるあはれなり。鴨は羽の霜うち

拂ふらんと思ふにをかし。
  
   鶯は文などにもめでたき物につくり、聲よりはじめて、さまかたちもさばかり貴に美しき

ほどよりは、九重の内に鳴かぬぞいとわろき。人のさなんあるといひしを、さしもあらじと思ひ

しに、十年ばかり侍ひて聞きしに、實に更に音もせざりき。さるは竹も近く、紅梅もいとよく通

ひぬべきたよりなりかし。まかでて聞けば、あやしき家の見どころもなき梅などには、花やかに

ぞ鳴く。夜なかぬもいぎたなき心地すれども、今はいかがせん。夏秋の末まで老聲に鳴きて、む

しくひなど、ようもあらぬものは名をつけかへていふぞ、口惜しくすごき心地する。それも雀な

どのやうに、常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春なくゆゑこそはあらめ。
  
  年立ちかへるなど、をかしきことに、歌にも文にも作るなるは、なほ春のうちならましかば

、いかにをかしからまし。人をも人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをば、謗

りやはする。鳶、烏などのうへは、見いれ聞きいれなどする人、世になしかし。さればいみじか

るべきものとなりたればと思ふに、心ゆかぬ心地するなり、祭のかへさ見るとて、雲林院、知足

院などの前に車をたてたれば、杜鵑もしのばぬにやあらん鳴くに、いとようまねび似せて、木高

き木どもの中に、諸聲に鳴きたるこそさすがにをかしけれ。
  
   杜鵑は猶更にいふべきかたなし。いつしかしたり顏にも聞え、歌に、卯の花、花橘などに

やどりをして、はたかくれたるも、ねたげなる心ばへなり、五月雨の短夜に寢ざめをして、いか

で人よりさきに聞かんとまたれて、夜深くうち出でたる聲の、らうらうじく愛敬づきたる、いみ

じう心あくがれ、せんかたなし。六月になりぬれば音もせずなりぬる、すべて言ふもおろかなり


  
   夜なくもの、すべていづれもいづれもめでたし。兒どものみぞさしもなき。
  
  
  (四九段)
  
   あてなるもの  薄色に白重の汗袗(かざみ)。かりのこ。削氷(けずりひ)のあまづら

に入りて、新しき鋺(かなまり)に入りたる。水晶の珠數。藤の花。梅の花に雪のふりたる。い

みじう美しき兒の覆盆子くひたる。
  
  
  (五〇段)
  
   蟲は  鈴蟲。松蟲。促織(はたおり)。蟋蟀(きりぎりす)。蝶。われから。蜉蝣。螢


  
   蓑蟲いとあはれなり。鬼の生みければ、親に似て、これもおそろしき心地ぞあらんとて、

親のあしき衣ひき著せて、「今秋風吹かんをりにぞこんずる、侍てよ」といひて逃げていにける

も知らず、風の音聞き知りて、八月ばかりになれば、ちちよちちよとはかなげに鳴く、いみじく

あはれなり。
  
   茅蜩(ひぐらし)、叩頭蟲(ぬかずきむし)またあはれなり。さる心に道心おこして、つ

きありくらん。又おもひかけず暗き所などにほとめきたる、聞きつけたるこそをかしけれ。
  
   蠅こそにくきもののうちに入れつべけれ。愛敬なくにくきものは、人々しう書き出づべき

もののやうにあらねど、萬の物にゐ、顏などにぬれたる足して居たるなどよ。人の名につきたる

は必かたし。
  
   夏蟲いとをかしく廊のうへ飛びありく、いとをかし。蟻はにくけれど、輕びいみじうて、

水のうへなどをただ歩みありくこそをかしけれ。

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